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「館長対談」

現代に生きる狂言

2002年11月10日(日)
 13:00~
 琵琶湖博物館ホールにて

狂言役者・演出家
茂山千之丞氏
大津市歴史博物館次長
中森  洋氏
琵琶湖博物館館長
川那部浩哉
皆さんの今日の笑いと、今から六百年前のお客の笑いとは、まったく同じ笑いである筈なんです。 ところで、今から演じて頂く「磁石」は、珍しく地名のはっきりしたものですね。 この狂言は、まさに奇想天外な発想ですね。

■名乗り

中森 琵琶湖博物館ではいま、企画展『中世のむら探検-近江の暮らしのルーツを求めて』を開催していらっしゃいます。中世の暮らしを現代に伝えると言えば、狂言もその一つですが、今日は私が司会役を勤めることになりました。

川那部 有難うございます。中森さんは狂言にもたいへん詳しく、もう五年前になるでしょうか、大津市歴史博物館の企画展『能・狂言のふるさと近江-古面が伝える中世の民衆文化』を主催されました。

中森 本日お迎えしましたのは、狂言大蔵流の茂山千之丞先生でございます。京都に茂山家という狂言のお家がありますが、茂山先生はそこのご出身で、演出家としてもたいへんなご活躍でございます。
 ところで狂言には、最初に名乗がございますね。先ずはそれによって、自己紹介をして頂きたいと思います。

茂山 (せりふ調で)まかり出でたるものは、茂山千之丞でござる。(笑)

中森 というふうに狂言は始まるわけでございます。

■能と狂言

中森 ところでそもそも狂言は中世、十四世紀ぐらいにはじまった、滑稽な台詞劇と思っているのですが、いかがでしょうか。

茂山 それでいいと思います。ただ、能と狂言をいっしょに考えられる方が多いのですが、それは違います。能はミュージカルと思って頂いて良い。歌があり踊りがあって、台詞もある。それに対して狂言は、純粋の台詞劇。今のテレビドラマとか、ふつうの劇などとまったく同じ、芝居なのです。またある人が最近、狂言は中世、室町末期の吉本新喜劇だと言いました。(笑)
 逆に言えば、吉本新喜劇は現在の狂言かもしれません。つまり狂言は、「いま」の社会をスケッチしたものです。狂言にとっては、室町時代が現代ですから。

川那部 狂言の中には、「お祝い」が主になっているものもありますね。ああいうものは、後になって出てきたのでしょうか。

茂山 最初の頃にもあったでしょうが、ほとんどは破局で終わるかたちだったろうと思います。普通の狂言の「やるまいぞ、やるまいぞ」の形式のものが、江戸時代になって祝言性といいますか、「めでたし、めでたし」で終わるものに変化していくものがたくさんあります。つまらなくなくなったわけですよ、それだけ。

川那部 小学校の終わりのほうで、狂言を一番、国語の授業で習いました。「末広がり」でして、見よう見まねで演じたことがあります。あれも「げにもそうよ、やよ、げにもそうよの」でしたか、二人が傘の下で踊るところで終わっていましたね。

茂山 ええ。いつごろああいうかたちになったか、はっきりはわからないのですが、あれも最初は太郎冠者が失敗して、主人に叱られて終わったのだと思います。「めでたし」で終わるかたちを採るようになったのは、江戸時代になってからでしょう。

■中世という時代

茂山 江戸時代では、特に武士階級の主人と家来の関係、これは絶対的なものでしょう。しかも、自分の主人は、自分の子の主人でもあり、孫の主人でもあるわけです。代が代わっても主人と家来の関係は変わらない、いわゆる封建システムです。狂言の母体になった中世は、奉公関係といいますか、主人の用を勤めるかわりに自分の身を守って貰うという、相対的な関係ですね。だから、その家がつまらなくて飛び出して、次のご主人のところに行くなどは平気です。加藤周一先生は、戦争さえそうだと言うんです。中世の戦争では、寝返りは当たりまえ、旗色が悪くなったら寝返ってしまう。そして、どちらかの大将が死んだとき、戦 争が終わる。(笑)それが、大将が死ななくなった。現代の戦争では絶対に死にませんね。死ぬのは兵隊ばかりです。(笑)雇用関係もそう変わってきたのではないでしょうか、中世から近世にかけて。狂言から見ますと、中世は日本の歴史の中で一番、民主的な時代ですね。

川那部 中世史がご専門の滋賀県立大の脇田晴子さんは、前回、男女関係もそうだとおっしゃってました。平安時代は「男が通う」時代、「嫁入り婚」は江戸時代からで、それに対して中世は「一夫一妻の同居婚」で、男女平等の時代だったと。

茂山 平等以上に女が強いですよ。狂言には「わわしい」という言葉があります。狂言に出てくる女房は、百パーセントわわしいんです。(笑)中世の「わわしい」は、「口八丁手八丁」。実行力抜群で、亭主をこき使う女性。(笑) しかも、それを愛してる亭主。そういう夫婦関係ですね。昔の夫婦関係というと、男尊女卑とか亭主関白とかを連想するのですけれども、これは江戸時代の儒教道徳のもとで、ああいう家庭になったんじゃないですか。狂言に出てくる女、嫁さんというのはすごいですよ、頼もしいですね。(笑)

■近江と狂言

中森 狂言のルーツは近江だという話も、聞いたのですが。

茂山 能も狂言も、大和が故郷だと思われていますが、狂言はそうではないんです。狂言の故郷は、一つは京都の南にある宇治です。もう一つは、この近江の坂本なんです。私たちは大蔵流ですが、大蔵流の先祖に「日吉」とか「宇治」という名字の家が何軒もあるんです。能のほうは大和猿楽で、確かに大和が故郷ですけれども、狂言はどうも近江と山城が発祥地だと思います。

中森 茂山先生のお家の大蔵流の元祖は、比叡山の玄恵法印という名僧だと言われていたこともございますね。ところで、狂言というのは意外と、その舞台がわからないですね。

茂山 「これは、このあたりに住まい致す者でござる」というように始まるのが普通ですからね。「このあたりとはどのあたりだ」と(笑)、良く聞かれますが、「このあたりとは、いま狂言をやっている場所のあたり」という意味でしょう。

川那部 登場人物に具体的な名前のないのも、能と違っていますね。

茂山 そうです。「業平」とか「弁慶」とか、「熊野」とか「松風」とか、能には名がある。それに対して狂言は、例えば「これは遠国に隠れもない大名です」と言うばかりです。奉公人のほうも「太郎冠者」「次郎冠者」で、これは召使いの順番を言うだけ。若い女人の名前は全部「いちゃ」、女房は「おごう」で、これは后です。つまり、すべて無名なんです。地名も登場人物名も、基本的にないというのは、お客さまの代表が衣装を着て、やっているのが狂言だと言う象徴でしょう。

■狂言「磁石」

鼎談後に演じられた狂言「磁石」

中森 ところで、今から演じて頂く「磁石」は、珍しく地名のはっきりしたものですね。

茂山 そうです。大津の松本という場所での話です。

中森 松本というのは、今の石場で、江戸時代には、ちょうどこの草津との間に舟が通っていました。もう少し古くを言いますと、あのあたりは粟津の一部で、京都で魚商売を始めたのは、この辺の女の人が最初です。古くから繁華なところだったと思います。

茂山 この狂言は、冒頭から地名がいくつも出てくるのです。先ず、「このあたりに住まい致す者」の代わりに、「これは遠江の国、見付の宿の者でござる」と、はっきり言う。その男が京都へ遊びに来る途中で、三河の八橋とか、尾張の府中を通り抜けて、近江へ入ってくる。そして、坂本の市で市立ち、市場見物をするんですね。
 そこへ「大津、松本のあたりを走り回る、心も直ぐにない者でござる」と名乗る男が出る。「心も直ぐにない」とは不正直な、まっとうに生きられないアウトローの男だと言うわけです。それを私がやります。ともかく土地の名、松本・坂本・大津というのがはっきり出てくる、ご当地ものです。

川那部 磁石を使った劇と言えば、歌舞伎十八番の一つ「毛抜」のほうが一般には有名でしょうが、この狂言は、まさに奇想天外な発想ですね。

茂山 太刀を抜いて追いかけられてあわやと言うときに、今まで逃げていた男が、突如振り返ってその太刀に対して大口を開け、「わあ、飲もう」と言う。「実は私は磁石の精だ」と言うわけです。それに、この精が産まれたのは唐土で、中国の鉄を全部飲んでしまったから、今度は日本の鉄を飲もうと渡ってきた。昨日間違って青銅の銭を飲んでしまい、のどに詰まって不愉快だから、良さそうな鉄の刀を飲んで、喉の詰まりを外に出したい。そういうわけです。

川那部 最近イギリスなどで評判の、ナンセンス劇の典型ですね。

茂山 そうです。伝統的な狂言は、決して骨董品ではなくて生きているのです。これから「磁石」をご覧になって、随所でみなさんお笑いになると思います。皆さんの今日の笑いと、今から六百年前のお客の笑いとは、まったく同じ笑いである筈なんです。
 つまり、狂言は決して死んでいない、生きているということだと思います。

川那部 茂山さんの新作の狂言も、素晴らしいものですしね。

中森 ちょうど結論が出たようでございます。鼎談はこれで終りにして、狂言「磁石」のほうに入りたいと思います。どうもありがとうございました。

(終了)  


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