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館長にきく!

世界古代湖会議をおわって

 一九九七年六月二一日から二八日まで、琵琶湖博物館を主会場として、「世界古代湖会議:古代湖における生物と文化の多様性」が開催されました。海外二〇カ国から約五〇名の研究者、国内からは合計二五〇名ほどの研究者や行政関係者、住民の参加を得て、活発な討議が行われ、最終日には「古代湖共同宣言」が出されました。
 本号では、その会議の実行委員会の副会長をつとめ、会議の企画や運営の責任をもった川那部館長にインタビューしました。


Q:「古代湖」というのは、一般にはあまり聞きなれませんが、どういう湖ですか?

川那部:もともとは陸水学で使われていた用語で、古い時代に成立して、それからずっと続いている湖のことです。生物がそこで進化して、その湖にしかいない固有種が生まれます。生物の種類もたいへん多い、つまり多様な湖のことなのです。

Q:「古い」と言うのは、どれぐらいなのか、その目安はあるのですか?

川那部:湖は一般に、数万年もすると周辺からの土砂流入などで埋ってしまいます。古代湖はその例外で、そうですね、数十万年以上がとりあえずの目安でしょうか。

Q:古代湖で、生物種が多様だと言うのはわかりますが、文化も多様なのですか?

川那部:人びととのかかわりも古くて、漁業や湖上交通など、それぞれの湖の固有の文化が発達していますね。ときには宗教などまで。ただ、文化は数千年程度で発展しますから、文化的な古代湖は、陸水学的な古代湖に限られているとはいえません。



Q:この会議の特色は、一口で言うと、どのようなことだったのでしょうか?

川那部:従来の一般的な科学的国際会議に対して、二つの挑戦をしたと言えるでしょうか。一つは、自然科学と文化科学の人たちが同じ舞台にあがり、双方の見方が交錯するように論じてもらったこと。もう一つは、漁師さんをはじめ各地域の一般の方々に、単なる聴衆としてではなく、発表者や討論者として参加してもらったことです。

Q:確かに挑戦的なことだと思いますが、果たしてねらいは達せられたのでしょうか?

川那部:半分成功というのが、正直なところでしょう。事前の呼びかけでも、先の二点を強調したのですが、多くの人に共感してもらえて、相互に乗り入れて新しい分野に挑戦するような発表がたくさん出ました。また、沖島漁協の茶谷さんなど、狭い意味での「研究」に従来は携わってこなかった、言わば「素人」の方の発表もあり、一般住民の方々の活発な討論もあって、海外からの参加者も大いに興味を示していました。そして古代湖は、歴史的な「生命文化複合体」であるという新しい概念も生まれましたし、この複合体は、これに深く関係してきた地域住民自身の力によって、正しく発展させるべきものだということも、強調されました。ただ、こうした動きは始まったばかりです。輪は拡がったのですが、各分野での議論はまだまだこれからです。


Q:琵琶湖で、今この時期に、このような会議を開催しようとした理由は何ですか?

川那部:琵琶湖だけでなく、日本全体で、いや世界各地において、過去三〇―四〇年にわたる「開発」・「発展」一辺倒の流れに、大きい反省がなされています。生物多様性条約の批准、琵琶湖総合開発の終了、そして、上から決めるかたちの公共事業への批判なども含めて、現在、湖の将来は不透明です。技術的・経済的な問題に加えて、広く近代文明を根本から見直すことも迫られています。このような価値観の転換を考える時には、できるだけ広い視野で、かつ複数の視点で、ものごとを考えることが重要です。古代湖会議の共同宣言では、「二一世紀へむけての新しい哲学」も提唱されました。

Q:会議が終わって二カ月ほどですが、参加者の感想は聞いておられますか?

川那部:さまざまなかたちで、感想を寄せてもらっています。他の分野と話し合っただけではなくて、全体で考えていく方向がぼんやりながら見えてきたこと、また、琵琶湖の竹生島や沖島を訪問して、漁業や魚食文化など、琵琶湖文化の奥深い側面にふれられたことを、喜んでいる方も多いようです。同時に、高度に工業化された地域にある古代湖は琵琶湖だけです。だから、水資源として、生物多様性保全の場として、また文化の保全の場として、というさまざまに密度濃く利用している琵琶湖の問題のむずかしさも、多くの人が認めてくれました。



Q:マスコミなどからの反応や感想はいかがですか?

川那部:どうなるかと心配したのですが、テレビ・新聞からたくさん取材があり、おおむね好評だったようです。「コダイコ」という響きから、「小太鼓」だけではなくて、アクセントは違うものの「古代湖」をも認識して下さる方々が、これでだんだん増えると嬉しいのですが。

Q:古代湖会議の成果を今後、琵琶湖博物館としてまた滋賀県として、どう生かしていけば良いのでしょうか?

川那部:まず、和文と英文の双方で、出版物を作る予定です。また、琵琶湖の世界的な価値が、国際的にも再認識されたのを受けて、地元でも改めてそれを考えてもらえるように、いろいろなことを進める必要があります。さっそく、来る一〇月一九日(日)には、琵琶湖博物館の一般公開一周年記念を兼ねて、「琵琶湖と人との未来考」というシンポジウムを、開催することにしました。琵琶湖にかかわる皆さんから「暮らす」・「遊ぶ」・「探る」という三つのテーマでの意見をいただくつもりで、いま企画を進めているところです。


世界古代湖会議共同宣言(抄)

(一)古代湖の価値
 一九九二年のリオ=デ=ジャネイロで開かれた「環境と開発に関する国連会議」において調印された「生物多様性条約」にもある通り、生物多様性の保全、すなわち生命の賑わいを保ち続けることは、人間の将来の発展のためにも必須のことである。中でも古代湖は、生物が互いに複雑な関係を保ちながら共進化*1し、それによってそれぞれの独自の多様性を維持してきた場であり、人間もまたこの生物的自然との文化的共進化*2によって、文化をはぐくみ続けてきた場であり、「生命文化複合体」とも言えるものである。琵琶湖・バイカル湖・アフリカ大湖沼・チチカカ湖などにおける、具体的事例とそれをめぐる論議を通じて、古代湖はまさにかけがえのない場であることを改めて確認した。

(二)近年における変化
 しかし、一部では前世紀から、また他の地域でもここ三〇―四〇年のあいだに、古代湖は歴史的に形成された生命文化複合体としての価値を、低下させる状態になってきている。

 すなわち、湖だけでなく集水域をも含めて、水供給減少・水質悪化・資源枯渇はもとより、貧困などさまざまな問題によっても、生物多様性の維持や人間文化の発展的継承が、困難な状態にさしかかかっている。

(三)これからなすべきこと
 以上のような認識に基づき、私たちは今後、以下のことを前向きに押し進めるべきであると考える。

a.湖、特に古代湖における生物多様性を維持する機構には、まだ未解明の領域が多い現状に鑑み、その研究を進展させる。また、生物の多様性と人間文化、とくにその多様性との関係の研究が、今後の人間社会の発展のために不可欠であることを確認し、それを強く進める。

b.外来種の導入が、思わぬ環境劣化を招くことに鑑み、古代湖への導入の一時停止を提案する。また、その後の意志決定の際には、その環境に関わるすべての人々の間で緊密な協議がなされるべきである。

c.湖の自然の保全に関する計画の策定やその実践にあたっては、この自然と深く共進化的にかかわってきた地域住民の知識や経験を尊重し、地域ごとに主体的に模索する。

d.特定の限られた目的だけではなく、文化的・歴史的状況を含む湖の多面的な役割を充分に考慮し、そのことによって人間と湖との関係の良好な発展を進める。

e.人間が引き起こしている地球環境の危機の中で、人間と人間社会が真に持続的に発展していくために、自然とのつきあい方、ないし、人間のくらしについての、新しい哲学を作り上げる。

(四)琵琶湖への期待
 この会議は琵琶湖畔において開催され、この湖の自然と文化の多様性の現状について、親しく目で見、そして深く考えることが出来た。従って私たちは、特にこの琵琶湖についての期待を述べる。

a.まず、琵琶湖が生物と文化の双方における古代湖の一つとして、その重要性が世界的にも極めて大きいことを、改めて確認した。しかしこの琵琶湖もまた、過去数十年の間に急速に変化し、さまざまな問題を起こしていることを、深い憂慮とともに認めざるを得なかった。

b.幸いに琵琶湖の周りには、この湖を愛しかつそれに働きかけようとする住民と産業界、経験豊かな行政関係者が存在する。また、琵琶湖博物館・琵琶湖研究所・水産試験場・滋賀県立大学など県立の多くの研究教育機関、京都大学生態学研究センターや滋賀大学など多くの大学、さらにUNEP国際環境技術センターなどが立地し、この問題に深い関心を持って仕事を進めている。したがって琵琶湖をめぐる諸問題のいっそうの理解と解決のために、これらがいっそう協同して、活動を進めることを願う。

c.このことによって琵琶湖が、世界古代湖の研究と保全についてはもちろん、湖と人間との、すなわち自然と文化との共進化をさらに発展させるための、中心的存在となることを深く期待する。

 一九九七年六月二八日

世界古代湖会議出席者一同

提案者:ジョージ=クールター(「世界古代湖会議」実行委員会副会長)

    オレグ=ティモシュキン(一九九六年度生態学琵琶湖賞受賞者)

*1 複数の種が、互いに生存や繁殖に影響を及ぼしあいながら進化する現象。虫媒花の花の形と、虫の口の形が相互に適応的に進化した、というような事例が有名。古代湖の生物における共進化の例では、タンガニイカ湖のシクリッド(カワスズメ)の口の形が、餌によって異なる事例がわかりやすい。琵琶湖博物館の企画展示「古代湖の世界」でその模型が示された。

*2 生態学の用語を、人間の文化的事象に援用した概念で、複数の要素がお互いに影響を及ぼしあいながら、進化する現象をしめす。魚類の行動に適した漁法、食文化の好みなどにまでひろげて考えることが可能であろう。



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