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●研●究●最●前●線●

新しい発見の連続 ―オサムシの分布―

学芸技師 八尋克郎

(昆虫分類学)

 ある地域の生物の種類とその分布を調べる生物相の研究は、生物学の根本問題に迫りうる重要な研究テーマです。というのも、生物相の研究は種の分化、生物の起源、生物相の成立過程、生物の種構成や群集構造などのさまざまな疑問を解決する糸口になるからです。また、生物相の研究は、自然保護や環境間題にも深く関係しています。地球環境の変化に伴って、数多くの生物種が地球上から姿を消しつつあります。生物相の研究は、まさに今すぐにやらなければならない緊急のテーマなのです。

 1996年の5月以来、滋賀県内に在住している昆虫研究者ら七名と共同で、滋賀県内におけるオサムシの詳細な分布調査をおこなっており、現在も継続中です。このオサムシを生物相の研究の材料に選んだことには理由があります。一般に、昆虫は飛ぶための器官である翅を持っていますが、オサムシのほとんどの種は硬い上翅の下に隠れている後翅が退化しており、飛ぶことができません。このため集団間の交流が少なく、各集団は独自の進化を遂げやすいと言えます。その結果、同じ種の中でも地域によっていちじるしい形態的な変異が生じたりします。まさに、生物の進化を調べる上で格好の材料なのです。オサムシのことを歩行虫と言ったりしますが、まさに生活はこの別名にぴったりです。多くの種は雑木林や人工林あるいは草地などに生息しており、地表面を徘徊しながらカタツムリやミミズその他の小昆虫を食べています。

 これまでの綿密な分布調査の結果から、多くの新発見がありました。今回、滋賀県内から一三種のオサムシを確認しましたが、その中には滋賀県から初めて発見されたセアカオサムシ、クロカタビロオサムシ、アキオサムシも含まれています。ゴミムシ類では新記録どころか新種の発見も夢ではありません。

 それぞれの種の分布を見てみると、実におもしろいことがわかります。クロナガオサムシとオオクロナガオサムシは、分類学的に非常に近縁です。これら二種は、湖東地域では野洲川を境界線としてみごとな棲み分けをおこなっています。また、湖西ではこの二種はさらに細かい棲み分けをおこなっています。我々は、この二種の分布パターンから、近畿地方南部に広く分布しているオオクロナガオサムシが滋賀県西部の平野部(湖岸線沿い)に北進し、分布を拡大してきているのではないかと考えています(図参照)。その他にも安曇川がアキオサムシの日本における分布の東限だったりなど、滋賀県は生物地理的にも興味深い地域なのです。

クロナガオサムシ(左)とオオクロナガオサムシ(右)の分布


 では、どうしてこのような分布が成立したのでしょうか。これにはいろいろな理由が考えられます。生物の分布が種によって異なった歴史的経過をへて成立したものである以上、土地の歴史(地史)と強い関係があるのかもしれません。前述したように、とくにオサムシの場合は後翅が退化していて飛べなくなっている種が多いので、その傾向は強いと言えます。一方、植生や気候など生態的な要因とも関連しているでしょうが、その答えは現在探しているところです。また、その種の持っている繁殖力というか生活力や移動力、系統発生上の古さ新しさなどの違いが、現在の分布にどう影響を及ぼしたのかもおもしろい問題です。たんに“滋賀県は北方系と南方系とが入り混じった、きわめて興味深い地域である”というお決まりの文句だけでは片づけられない問題がひそんでいるのです。

 琵琶湖にはいくつかの島があります。これまで、これらの島々にはオサムシの分布は確認されていませんでした。しかしながら、今回の調査で沖島に三種のオサムシが分布していることが新たにわかったのです。沖島は約5万年前に分離したと言われています。このオサムシは、滋賀県本土のオサムシと違うのでしょうか。また、このオサムシは、この島に分離する以前からいたのでしょうか、あるいは島まで湖を流されてやってきたのでしょうか。興味深いいくつかの問題がありますが、いまだ謎に包まれています。

 地域の生物相の研究は綿密な調査が必要なため、その土地の在住者でなければ出来ぬ仕事です。地方人が地方人であることの有利さを発揮できるのが愉快な点です。地域に根ざした研究とも言うべき生物相の研究が、湖国を舞台に地元の人たちと共同でおこなわれています。魅力的な発見や創造が、近江のあらゆるところに隠されています。みなさんもこのすばらしいフィールドに飛び出してみませんか。


表紙の写真
(セアカオサムシの上翅)
 表紙の写真は、1997年5月12日に石部町石部(野洲川河川敷)で採集されたセアカオサムシの上翅を拡大したものです。楕円形をした瘤状の隆起が連なり、上翅にみごとな模様を浮かび上がらせています。この種は北海道から九州まで広く分布していますが、これまで滋賀県内からの記録はなく、今回新しく発見された種です。野洲川のほか高時川の河川敷でも見つかっています。この標本は、C展示室・生き物コレクションのコーナーに行けば見られます。

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