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館長対談

食いしん坊館長が二人寄ると


平成12年5月30日(水)国立民族学博物館にて

進行■滋賀県立琵琶湖博物館
研究顧問 嘉田由紀子

なぜ食いしん坊に?

嘉田■石毛さんは食文化の研究者として知られていますが、始められたきっかけは何だったのですか。

石毛■私は研究よりも、食いしん坊のほうが先なんですよ。子どものころ戦災に遭ったりして、いつもお腹を減らしていたし、大学でも貧乏学生、それで不思議なことに大酒飲みだったんです。酒は他人にたかれるけど、飯はそうはいかない。安上がりで旨いもの食おうと思ったら、結局自分で作るのがいちばんってことになって、自炊始めたんですよ。そのうちに海外調査に行くことがって多くなって、一人のときは徹底的に現地の家に居候して、自分では一切作らない。しかし何人かで行くと、おだてられて自分でどんどん作りまして。

川那部■私も食い意地は張っていたようですね。だが石毛さんとは正反対に、料理は全く出来ず、アルコールも27才まで一滴も飲めなかった。それにもかかわらず幼児のときから、酒の肴めいたものが好きだったんですよ。このわたとか、ふなずしとかね。それで、ゆくゆくは酒飲みになるに違いないと言われていたらしいんです。

ふなずしとの出合い

石毛■私は千葉県育ちなので、ふなずしを知ったのはずっと後です。爺さんがフナ釣りが好きでしたが、淡水魚はちょっと泥臭くて、子どものころは海の魚ばかりでした。淡水魚の旨さがわかるのは、本格的に酒を飲み出してからです。それでも学生の頃はふなずしなんてあまり食べたことはない。当時でもちょっと高級でしたから。

 あの味には、抵抗感はあまりなかったですね。また、ヨーロッパで日本の食文化について講演をやる機会に、ふなずしを試食をして貰うと、旨いとわかる。例えば「アチユウと同じだ」って言う。ゴルゴンゾーラだとかブルーチーズとかと、ちょっと似てますね。匂いの分析結果を見ると、ふなずしの匂いはチーズ臭なんです。ですから彼らにとっても、ほとんど抵抗感はありません。

なれずしの分布

嘉田■東アジアには以前、ずーっと広くなれずし系の食文化があったのに、今は消えてしまったところが多いですね。なぜでしょうか?

石毛■なれずしの分布は、元来はかなり広いものです。南はジャワ島から東は日本まで。今は海産魚を使うところもありますが、古いのは全部淡水魚ですね。私はこの発祥地は、インドシナ半島から雲南・貴州省につながる水田稲作地帯だと考えています。ところで中国大陸では、宋の時代あたりまではよく食べているんですが、元の時代などになって魚を食べない民族が多くなると、生ものを食べないようになる。中国でも韓国でも今は、もう東海岸にちょっと残っているだけです。日本でも古くから食べられていたのは、北九州から瀬戸内を通って近畿・北陸までです。南九州から沖縄にかけては存在しないんです。

 なれずしが稲作とたいへん関係の深い食品だと仮定した場合、沖縄から島伝いに南九州に入ったルートではないわけですね。むしろ、中国の揚子江の下流から稲作と一緒に日本へ入って来た食物と考えるべきじゃないかと思うんです。水田というのは、主食にするイネ(米)を生産するだけじゃなく、おかず用の魚を獲る場所でもあったんです。田んぼで魚を獲る、あるいは田んぼにつながる水路で魚を獲る。それがセットになって、おかずとご飯が一緒になったような、それが水田稲作としてずーっと伝わって行ったんだろうと考えたわけです。

水田とおかず採り

嘉田■川那部さんは生態のほうから見て、琵琶湖の魚類のくらしかたとふなずしのつながりはどう思われますか。

川那部■琵琶湖の沖に棲む魚も、産卵には全部沿岸へ来る。そして内湖あたりで留まるもののほかに、田んぼまであがって来るものも、フナ類やナマズなど多いわけです。草津駅の近くの高いビルの上から田植えごろに見下ろしたことがあるんですが、琵琶湖が拡がったかと思うぐらい、一面に水域になる。湖面と水田とは、今は高さが違うので移動困難ですが、昔は梅雨どきなど、「行け行けに」つながっていたんですから。

石毛■それは、東南アジアでも同じですね。モンスーンのころ飛行機から見るともう一面水だらけ。ちょっと小高い所に集落が残っている程度ですね。つまり川が氾濫して、川と田んぼが一緒になる時期がある。そのときに川筋に添って、上流下流を移動するような魚が田んぼに入って来て、産卵するわけですね。

川那部■ふなずしの本来の素材のニゴロブナは、ゲンゴロウブナに比べても、その子どもは遊泳力が小さいので、内湖などに長いあいだ棲まなければならないのです。いまは、そう言う棲息場所が無くなってしまっている。ニゴロブナのふなずしをたくさん食べたい私は、なんとかしてこのような場所を琵琶湖の周りに復活させたいと思っていますし、水田へもどんどん上がれる状況が出来ればたいへん嬉しいのです。田んぼも本来、イネを作るだけの場所ではない筈です。

嘉田■まさに、農業の多面的機能ですね。

 それから、地域の食文化の伝統をみると、なれずしを漬けることが身に染みついているので、何でも漬けてみると言う生活慣習が生きている地区もあります。例えば草津市の志那は、いまは湖岸堤で琵琶湖と切れているのですが、以前は湖と水田や水路がつながるクリーク地帯だったところです。そこではとうとう、ブラックバスのなれずしが「発明」されました。伝統と言うものはある意味で創造的です。

なれずしの分布

石毛■アユなどいくつかのものを例外として、淡水魚の消費が近年著しく減って来ているようです。日本は海岸線のたいへん長い国だし、しかも近代漁業と流通の変化で海の魚が食べられるようになり、淡水魚の消費が減ったわけですね。

川那部■非常勤講師に私を呼ぶときの口説き文句は、以前は比較的簡単でしてね。「その時期に来ると何々が食えるぞ」と言われると、喜んでほいほいと行ったもんです。この頃はいつの季節でも、京都ですら、言わば何でも食えるわけですね。そうすると、わざわざ行って食いたいって言う、ときめきが減って来る。飽食の時代とか、贅沢になって来たなどと言いながら、食文化は却って貧しくなってるんじゃないかと、思えてしょうがない。

嘉田■地元へ行くと、かえって良質のものがなくて、「良いものは東京や大阪へ出てしまいました」と言うことになりかねませんね。

石毛■そうですよ。「情報を食べる」ようになってるんです。実際の自分の味覚よりも、情報に価値を置くようになって来ている。しかし、先にもあったように、伝統を「守ろう」と言うのはだめですね。そもそも刺身・醤油・ワサビ・天ぷら・握りずし、すべて江戸時代以来です。守るんじゃあなくて、それをいかに現代に適応させるように変形したりして行くかが、大事だと思います。

川那部■「何でも食べてみよう」と言う好奇心は、もう少し増やすべきですね。何度か試してみて、やっぱり私は嫌いだって言うものは当然ある。とにかく、いろいろやってみて自分で判断するのが、豊富にする方法でしょう。これ以外は食べないと言うのは、絶対に損ですよ。

石毛■ますね。ただ、それがいけない理由として、ふつうは栄養理論を持って来るんです。「これが身体に良いから食べなさい」と言う。物資が窮乏している時代だったら、説得力を持ったかもしれないけれど、今なら栄養だけ考えたら代わりのものがある。ですから、なるべく説教と違うところで内発的に、「これはおもしろそうだ」と試してみて、自分に合うか合わないか決めることですね。いろんな食べ物を知ったほうが幸せです。

嘉田■「食いしん坊は幸せを運ぶ」と言うことですね。

滋賀県立琵琶湖博物館
館長 川那部浩哉
国立民族学博物館
館長 石毛 直道

「何でも食べてみよう」と言う好奇心は、もう少し増やすべきですね。これ以外は食べないと言うのは損ですよ。(川那部浩哉)

「伝統を守る」より、現代に適応させるように変形することが大事。いろんな食べ物を知ったほうが幸せです。(石毛直道)

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