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●研●究●最●前●線●

森林伐採と琵琶湖

主任学芸員 草加 伸吾(森林生態学)

 私は小さい頃、和歌山県新宮市で育ったが、家のすぐ近くに、速玉大社社寺林の千穂が峰があり、よく遊びに行った。少しのぼった場所に谷川があり、いつも滾々と水が涌いていて、近くの人たちは、その水を引いて飲み水にしていた。このようなきれいな水であったので、手ですくってはよく飲んだものである。子供ながらに、その水はとても甘く、冷たく、おいしい水だといつも感じていた。理由は分からなかったが、山からの贈り物のように感じられて、うれしく、同時に近所の池の、深緑色になった水とは比べものにならないほどきれいで甘いと思っていた。
写真1:美しい水をはぐくむ森林(ブナ林)
 後に、森林の研究をするようになり、森林と水の関係をテーマに選んだ理由の一つには、この幼年期の、水がなぜおいしくなって出てくるのかということに対する不思議さや素朴な疑問が、一方で手伝っていたのかもしれない。森林は、現在のような様々な汚染物質で汚れた酸性雨でさえも、それを土にしみ込ませていく間に徐々に浄化し、酸性を中和し、ミネラルを与えておいしい水にしていくことが、だんだんとわかってきた。このようにして、普段森林は、琵琶湖においしい水を供給している。ところが森がなくなったらどうなるか、森林と琵琶湖の関係上 最も大きな影響を及ぼすと思われる伐採について、現在調べている。すなわち、森のところと、今まであった森を伐採ところを、実験的につくり、それらの違いがどれぐらい大きいのか比べているのである。特にたくさんの雨水が入ってきて、森を通って出ていく台風や梅雨など大雨の時に、調べることが重要となる。このような訳で普段、月一回調べている以外に、大雨の時には、台風の追っかけをやっているのである。
写真2:伐採地の状況(棚積みされている)
 台風の追っかけといっても来てからでは遅いので、台風がくる少し前に、色々な気象台の方にお世話になる。天気図を睨み、台風の進路と雨量を予想しながら、西の方から、気象台に次々と電話をかけて、「何ミリぐらい降りましたか?」という形で、雨を追っかけていくのである。そして実験観測を行っている滋賀県の朽木村に、いつ頃雨がやってくるか、いつ頃強くなるのか、何ミリぐらい降るのかを予想して、準備をし、調査に出かけるのである。何度もやるものだから、今では気象台に電話をかけると、声で覚えてもらったのか、みなさん、親切に協力して下さる。
 雨はなぜか夜中に降ることが多く、特に大雨の時には、観測は夜通しになることが多い。あらかじめ決めた二つの小さな流域の末端に、水の量を測る堰を作っているが、夜通し、その堰の所を通っていく水を、一定時間毎に連続的に採って、持ち帰って調べるのである。その上、伐採地と森林区の比較観測であるので、一定時間ごとに、両地点の間を夜中走り回って往復することになる。雨は、タンクで受け、やはり持ち帰って分析する。このようにして、水の入ってくる量は雨量計で、出ていく量は量水堰を通った水の量で調べる。片方は木を切られており、また片方は切られていないクリ、コナラの林で、それらの小さな流域の違いを、切る前からずっと調べ、比較するのである。また、流域内の色々な場所に穴を掘って、その中の土の表層、中層、下層にまでしみ込んだ水も、土の中に差し込んだ樋状のもので受けて、ポリタンクで集め、採水する。こういった方法で、雨の水がどこでどう変わって、どこに出てくるのか、またそれが伐採された時、つまり森の働きがなくなったときにはどう変わるかということを調べている。これまで何年間か、ほとんどの台風を観測してきたが、山に入っている間に、北川が増水して、水が道路の上まで流れ、車が通れず、帰れなくなったこともあった。
写真3:深さ別のライシメーターと
溜まった土壌浸透水
 大雨の時には、普段の時の何十倍もの水が流れるから、濃度が何百倍にもなれば、何千倍という量が流れることになる。こういうものが林があれば出ていかないのに、切ってしまった所からは出ていく。この出ていったものが、一日もたたないうちに琵琶湖へと流れ込んで特に雨が降る夏場に、琵琶湖の表層部に流れ込み、水質悪化の元になる植物プランクトンの栄養源の一部になっていくと考えられる。従って将来、広く山が伐採されると大量の栄養物が、山から湖に流れ出して、より多くの植物プランクトンがはびこることが考えられる。いったいどれだけの量が出るのか、どれぐらいの期間出るのか、そういったことは、まだはっきりと分かっていなかった。しかし、数年前からの共同研究の結果、それらのことが次第に明らかになってきた。この結果が出てくれば、伐採の仕方や、管理の仕方を工夫することによって、どのようにしたらその琵琶湖への影響を最小限に押さえることができるかが、考えられると期待している。
写真4:大雨流出時の量水堰
 このような観測と平行して、硝酸などの富栄養化物質を形成する土壌で、どんな変化が起こっているのかについても土を採って調べている。大変時間と手間のかかる研究であるが、こういう研究を積み重ねていくことにより、生態系としての森林の強さや、大きさがだんだん分かってくる。強さとは、例えば酸性雨を中和、調節して、無害化する力の大きさや、水の量や質を調節する力などである。森が水などを浄化するその力も、無限ではないので、何年ぐらい後に、土壌が酸性化してしまうのかといったことも分かってくるであろう。できるだけ、そういう調節力を保った状態に、山を、森をしておきたいと思う。そしておいしい水をいつまでも作り出して琵琶湖に供給してくれる森にしておきたいものである。一方では、森は材木を供給してくれる。すなわち、森が与えてくれる様々な恵みの中には、材木もあれば、おいしい水もあれば、動植物のための多様な生息環境もあれば、酸素の供給や二酸化炭素の吸収もあるのである。それらのどれもが重要であり、互いに関連しあっている。そのうちのどれに重きを置くのかは、人間である我々の選択にかかっている。自然の中で起こっている事実をより正確に知り、いろいろな面から注意深く観察した上で、よりよいバランスを保ちながら、自然と共存していく方法を模索していくべきであろう。



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