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館長対談

日本列島の湖沼とその伝説


2001年4月5日(木) 琵琶湖博物館企画展示室ギャラリー写真展「湖沼の伝説」会場にて

中野 晴生(写真家)
滋賀県立琵琶湖博物館
館長 川那部浩哉

その池や湖にいる主を写真に撮りたいということです。龍なら龍の写真を。

人間のものとして美しい環境を守ろうとする気持ちが、少しずつかもしれませんが、生まれてくるのではないでしょうか。

撮影の旅

用田■三月二十七日から、「湖沼の伝説」と題する写真展を開催しています。今日はその写真家である中野晴生さんに、博物館へ来て頂いての対談です。

川那部■事前に同名の本を見て、素晴しいと思ったのですが、展示されているものは、さらに桁外れに見事な美しい作品ですね。私が知っている湖もかなりありますが、こんなにきれいな季節や時間もあるのだなと感激すると同時に、私の貧しい印象を見事に深くするかたちの写真で、感銘を受けました。例えば然別湖の写真。ここにはミヤベイワナと言う特別の魚が棲んでいるんですが、この写真には、そういう独特の感じが良く出ていますね。

中野■ありがとうございます。このテーマは、五年目になります。四五〇個所の湖沼を回り、そのうちの二〇〇個所ぐらいの撮影をしました。

川那部■一つの湖で一度に、何枚ぐらい撮られるのですか。

中野■撮影機材が大きいので、一〇カット撮るのが精一杯です。機材総重量が三〇キロぐらいになり、それを担いで、小さい湖でしたら右に二回、左に二回ぐらい回ると、撮影ポイントが必ず見つかります。そこに三脚を据えて、カメラを組み立てます。そのときが自分の一番嬉しいときなんですね。シャッターを押してしまうともう、だらっとなってしまいます。

川那部■その機材も今回展示して頂いていますね。私の先生になる宮地伝三郎さんなどは、ボートからいろいろな採集機械まで、全部を担いで山の湖の調査に行ったものだと言うことでしたが、それと同じですね。いや、岸から舟を下ろすのではなくて、周囲を巡るのだから、もっと大変かもしれません。

中野■その機材を持って、北は礼文島から、南は宮古島近くの下地島まで行きました。そして基本的には、朝日が昇るころから日が暮れるまで湖畔にいます。今回の展示では、「中野晴生の旅」という副題をつけて頂いたんですが、確かに僕の旅だったなと思いました。先も申しましたように、一〇カット分のフイルムを持ち運ぶのが精一杯ですから、朝のうちにたくさん撮影すると、午後に素晴らしい場面が来てももう撮影出来ません。逆にもう少し待てばと思っていると、急に状況が変わったりして、フイルムを持ち帰ることもあります。

川那部■そうか。数多くの写真を撮影して、あとで選ばれるのではなくて、ぎりぎりに選んで撮影されるのですね。それが中野さんの写真の、あの美しさをもたらすのかも知れませんね。

近江の湖沼

用田■滋賀県内では、琵琶湖をはじめ、山東町の三島池、余呉湖、比良山上の小女郎ヶ池を取り上げていらっしゃるのですけれど、ご印象は。

中野■余呉湖は、五年ほど前に撮ったものです。これを雑誌の編集長に見せたところ、おもしろいから連載をやってみようというきっかけになったものです。僕にとっては思い出深い湖です。また、琵琶湖のような大きい湖は、写真でどう表現すれば良いのか、すごく悩みました。もうすでに皆さんが持っているイメージもありますから。だから、自分がどう感じたかを表現するのが難しかったのです。 ちょうど新年号に入れたいというので、湖の向こうに昇る太陽を撮りました。琵琶湖の朝日は凄いですから。

川那部■湖自身の性質を扱っている者にとっては、琵琶湖と余呉湖は近くに並んでいるのですが、全く違った湖なんです。琵琶湖の水温は、夏は上が温かくて下が冷たいのですけれども、秋から春までは上下が一緒で七度ぐらい。だから鉛直方向に循環しているのです。それに対して余呉湖の冬は、表面の温度が0度ほどになるものですから、上の水が軽くて上下に混合しない。だから春と秋に二度循環するのです。琵琶湖は言わば亜熱帯の湖の北の限界、余呉湖は寒帯の湖の南限で、それが並んでいるのです。

中野■琵琶湖は凍らなくて、余呉湖は凍るのですね。

川那部■そうなんです。ところが今から一万年ぐらい前の氷期には、琵琶湖も秋と春とにだけ循環していました。逆に地球温暖化が進むと、余呉湖が秋から春まで、ずっと循環し続けるのです。もっとも今の余呉湖は人工が入りすぎてしまって、こう言う問題を論じることも出来なくなりましたが。

いろいろな伝説

川那部■中野さんの集められた各湖の伝説が、これまた素晴しいものですね。これは、どのようにして集められるのですか。「伝説集」などにいろいろ当たって、採用するかどうかを決められるのですか。

中野■いいえ。湖ごとに、地元の教育委員会で聞いたり、長老の方を紹介して頂いたりして、聞きとりをやるのが原則です。

川那部■写真撮影だけではないのですね。そうか、人文社会的な調査を自分でなさるのか。

中野■伝説のある湖の多い地方と、少ない地方とがあります。滋賀は長野や新潟とともに多いところなのです。北海道は土地が広いから別ですが。

用田■この博物館でも、琵琶湖にまつわる伝説というのをいくつか取り上げ、展示室で紹介しています。アユやゲンゴロウブナはもちろん、「おいさ」と言う人が出てくる魚イサザの話も紹介をしています。他の湖にも、魚が登場する話がありましたね。

中野■長野県の北竜湖には、「あしり」と言うコイの話がありますし、奈良県の本堂池はウマがワタカという魚になります。

川那部■今回の展示の中にも、鹿児島の鰻池でしたか、大きいオオウナギが排水口を堰き止めてしまった話も、出ていましたね。

中野■そうです。詰まってしまって、それを捕ったというものです。最初は湖の伝説といえば、蛇とか龍とかの話ばかりだろうと思っていたのですが、然別湖はヒグマですし、新潟県の神代池はチョウが出てきます。それに人里に近い湖とか沼とか池には、多くの伝説が残っているものですね。

伊勢の地から

川那部■確か、中野さんのご自宅は伊勢とお聞きしましたが。

中野■実家は、魚屋をやっております。伊勢神宮に神饌として、お魚を持ってあがってお供えするのです。

川那部■海の魚も、川や池の魚も、両方ともですか。

中野■はい。両方ともです。私は小さいときから、十月から五月までは毎日タイを十二匹ずつ、外宮のほうに持ってあがったものです。そして、夏のあいだは乾物になるんです。そして、合間合間のお祭りのときには、また違うお魚になります。エビとかアワビとか。

川那部■なるほど。やっぱりタイがいちばん大事な魚なんですね。

中野■そうです。一年を通してみると、やっぱり多いと思います。

川那部■そういうところのお生まれが、何か写真や伝説に関係していますか。

中野■実家の近くに二つ池というのがありまして、そこが撮影の最初の練習台だったのですが、親父やお袋が心配しましてね。あそこには龍がいるというのです。あまり近寄ると、落ちるというのです。そこで、そういう伝説を聞き回ることを始めたわけです。

川那部■なるほど。伊勢は中野さんご自身の生まれ故郷であるだけではなくて、「湖沼の伝説」の生まれ故郷でもあるわけだ。

用田政晴
進行:琵琶湖博物館専門学芸員 考古学

湖の主が撮りたい

用田■「湖沼の伝説」という主題で展示をやらせて頂いたわけですが、中野さんは礼文島から宮古島まで歩かれて、湖沼の環境についてのご感想などをお聞かせ下さい。

中野■回ってみまして驚いたのは、ゴミが多いことです。どの湖でも最初の一時間は、長靴を履いて火箸みたいなものを持って、ゴミを取るという作業をやりました。

川那部■今おっしゃって、初めて気が付きました。確かにそういえば写真の中にゴミや何やらは、全くありませんね。あれは全部ご自分で、処分なさった後なわけですね。

中野■四五〇個所を多少はきれいにしたと思います。

川那部■ご自分でおやりになったことも尊いけれど、この美しい写真を見る人の心の中に、人間のものとして美しい環境を守ろうとする気持ちが、少しずつかもしれませんが、生まれてくるのではないでしょうか。

中野■私の今の夢は、その池や湖にいる主を写真に撮りたいということです。龍なら龍の写真を。

川那部■うーん。それは面白いですね。湖や池に棲み、その自然を守っている主。中野さんの写真はどれも、それを彷彿とさせるものだと思いますが、その主自身が出てくると、これは圧倒的でしょうね。

中野■必ずやりたいと思います。叶うかどうか分かりませんけれど。

川那部■いやいや。心から期待しています。



中野晴生 プロフィール
1952年三重県伊勢市生まれ。1973年大阪写真専門学校(現・ビジュアルアーツ専門学校大阪)卒業。以後、5年間海外取材で、アフリカ、ヨーロッパ、南アメリカを廻り、「週間新潮」特派カメラマンとして、現在に至る。日本写真家協会会員。

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