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●研●究●最●前●線●

  丸子船の陰の立役者

学芸技師 牧野久実(民族学・考古学)



 琵琶湖博物館「人と琵琶湖の歴史」展示室の目玉展示資料、丸子船をもうご覧いただきましたか?

 かつての琵琶湖の湖上輸送の主役であった丸子船を約半世紀ぶりに復元製作したこの船は、実物ならではの迫力と感動を来館者の皆様にお伝えしていることと思います。大きなオモギ(船体の脇にとりつけられた杉の巨木の半裁)や白い帆、そしておしゃれなダテカスガイ(銅板を切って主に船体の前や後ろに貼ったもの)と、人々を魅了するものは数多くあります。しかし、人の目に決して触れず、それでいて丸子船を陰でしっかりと支えている材料もあるのです。

 その筆頭にあげられるのが船釘です(写真右)。じつは表紙の写真にある長方形の木片の中に埋められているのです。丸子船をつくるには特別の船釘が必要です。今回復元を手がけた大津市堅田の松井三四郎さんは、かつて丸子船をつくった時に使っていた船釘を大切に保管していました。琵琶湖博物館の丸子船にはこの船釘が使用されたのです。

 この釘は写真のように少し変わった形をしています。これらは「江州釘」といわれ、いわゆる「大阪釘」に比べて幅が狭く厚みがあります。すべて鍛冶屋で手づくりされたものです。昔はまずこれらを塩水につけ、錆をつけたそうです。そうすることで、板に打ち込んだ釘が抜けにくくなるのです。今回使用されたものは長年保管されるうちに錆がついていたため、この作業は省略することができました。次にこれらの釘を金槌で叩いて、あらかじめゆるやかなカーブをつけます。釘の太さと長さは、打ち込む板によって異なります。船釘の準備はこれで完了です。

 次に、釘を打ち込みたい個所にツバノミという道具で穴を開けていきます(写真左)。こうすると釘が入りやすく、後の作業が楽になります。少しカーブした釘をその穴にあてがい少しずつ釘の頭を叩くと、下図のように曲がりながら板の中へ入っていきます。こうすることで、板と板を縫い合わせるように接ぎ合わすことができるので、縫釘ともいいます。「コン、ココ、コン…」。この時不思議なリズムがかなでられます。船大工は釘を打つ音で、釘がどのくらい奥へ入ったかを確かめるのです。「コン、ココ、コン…」。かつて、釘はハヤシながら打つといわれました。道具と対話しながらの作業です。昔は船大工のもとに弟子入りして三年たって、はじめて船釘を打つ稽古をさせてもらえたといわれます。それほどこの作業は難しいものです。

 船釘を打ち込んだ後は菜種油と石灰を混ぜたものをつめ、小さな木片で蓋をします。かりにここから水がしみこむことがあっても、船釘は材の外側へ向かってカーブしているので水分は船の外へ抜け出る仕組みです。外からはまったく見えませんが、こうして多くの船釘が、そして船大工の知恵と技が、丸子船の中に埋められているのです。

 こうした人目に触れることのないものをどのように博物館の資料として残し、来館者に見ていただくことができるか、今考えているところです。


表紙の写真

(船釘)

 この写真は、B展示室の中央にある丸子船の右舷(右側面)の前方の一部です。

 周囲に黒く写っている模様は、上記の文中にも出てくる「ダテカスガイ」です。
長方形の木片の中に埋め込まれているのが、上の写真にある船釘です。

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