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●研●究●最●前●線●

ナマズを追いかけながら人間と自然との関係を考える

学芸技師 牧野厚史(環境社会学)

ナマズを食べる

 みなさんはナマズという魚をご存じでしょうか。琵琶湖博物館では今年の四月から2001年に開催する「ナマズと人間」(仮称)という企画展示の準備が始まりました。準備に携わることになった私は、社会学という立場からこのナマズと人間との関わりを調査しています。ところが、調べ始めた私は、正直なところ、途方にくれてしまいました。というのも、今日の琵琶湖周辺で暮らす人々にとって、ナマズはあまり値打ちのない魚のように思われたからです。たとえば、滋賀県漁連統計によると、琵琶湖では年に1000kg程度のナマズが水揚げされています。しかし、アユとは比較にならないほどの安値しかつかないナマズは、漁師さん達にとってあまり価値のない魚です。また、めったにとれないイワトコナマズをのぞけば、漁師さん達の食卓にナマズがのぼることもないようです。

 これに対して、お隣の岐阜県海津町や平田町には、ナマズの料理をだす川魚料理店がたくさんあり、名古屋などからやってくる観光客でにぎわっています。琵琶湖でとれたナマズは、福井県や岡山県のナマズとともに、仲買人の手でそれらの料理店に供給されているのです。木曽三川の輪中地帯にあるこの地域では、もともとナマズは人々の暮らしにとってそれほどめずらしい魚ではありませんでした。ところが最近になって、地元のナマズが手に入りにくくなったために、琵琶湖をはじめ他の地域からわざわざナマズを取り寄せるようになったのです。このように、ナマズを介した地域のつながりを一つのシステムとみなすならば、全国に島のように点在している消費地(ローカルな食文化)に魚を供給している琵琶湖漁業の役割が浮かび上がってくるのです

ナマズをつかむ

 けれども、ナマズの産地である琵琶湖へと調査が進むにつれ、私たちは現在のマクロな消費システムからナマズをみているだけでは肝心な問題が抜けおちることに気がつきました。というのも、琵琶湖周辺の農村で、かつてはナマズをつかまえて食べたという話をよく耳にしたからです。つまり、琵琶湖の周辺に住む人々の食卓に、いつごろからナマズが上らなくなったのかという問題です。この分野の研究はそれほど進んでいないので確実なことがいえる状況ではありませんが、琵琶湖周辺のいくつかの農村では、地域の人々によって「オカズトリ」と呼ばれる漁撈が行われていたことがしられています。琵琶湖の漁というと湖に船を出して行う漁をイメージしがちですが、このオカズトリは、水辺、すなわち湖に近い小河川や用水路・水田で行われました。人々は、農作業の合間にモンドリをしかけてオカズにする魚をとったり、四月から六月の増水期に産卵のために魚が河川や用水路・水田に遡上するときをねらってコイやフナ、そしてナマズをヤスでついたりしていたのです。琵琶湖人々の食卓にナマズがのぼらなくなるのは、このオカズトリという漁撈の消滅と深く関わっているようです。

 このオカズトリの広がりや動向を概観する上で参考となるのは、水辺の環境研究会と琵琶湖博物館準備室が共同で実施した水辺の遊びについての調査です(写真 報告書表紙)。平成六年に行われた「生き物つかみ」調査では、80代から10代までの滋賀県下の住民が子どもの頃に水辺でつかまえて遊んだ生き物についての回答を寄せています。その中にはメダカやザリガニと並んで、コイやフナ、そしてナマズなどの魚を水辺でつかんで遊んだ体験をもつ人々がかなりの割合でいます。 このように並べただけでは、ナマズつかみはつかまえることを楽しむ遊びにみえますが、実態は違ったようです。子ども達がつかんだコイやフナ、ナマズは、オカズにもなっていたからです。つまり、このナマズつかみも、実態としてはオカズトリという漁撈の一部であった可能性が高いといえるでしょう。ところがメダカやザリガニとりとはことなり、ナマズつかみには変化が生じています。調査結果をみると、1960年代以前に子ども時代を過ごした人々、ことに男性の中では、約半数の人々が水辺でナマズをつかんだ体験がありますが、70年代以降になるとその割合が急速に減少するからです。つまり、1960年代を境としてナマズつかみは琵琶湖周辺の農村から急速に姿を消してしまうのです。

人間と自然との関わり

 日本が高度成長期を迎えた一九六〇年代は、人間と琵琶湖に代表される自然とのつきあいの上でひとつの転機とみなされています。中でも、今日の研究者が注目しているのがエコトーン(推移帯)と呼ばれる琵琶湖の水辺の景観変化です。というのも、この時期に始まった琵琶湖総合開発などをきっかけとして、湖の沿岸から周辺の小河川や用水路・水田までの水辺景観が大きく変わり、その影響が心配されているからです。 しかしながら、ナマズという魚を追いかけてきた私たちにみえてきたのは、その変化が水辺景観というフィジカルな変化のみではなく、人々の水辺の自然に対する働きかけの変化でもあったという事実です。すなわち、これからの琵琶湖の保全を考える場合には、このような自然に対する人間の持続的な関わり方についても十分に検討しておく必要があるのではないでしょうか。今日の民俗学や人類学の研究者達が、日本各地で行われている漁撈などのマイナーな生業に目を向け始めたのは、この人間と自然との関わり方への関心が背景にあるように思われます。私たちは、目の前に広がる琵琶湖集水域をフィールドとした調査研究の成果を二〇〇一年の企画展示で披露したいと考えています。


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