Go Prev page



 我が家にも、ようやく下水道が出来る見通しとなり、先日工事の説明会がありました。恥ずかしながら私の住んでいるところは、ちょうど広域下水道と農村下水道の狭間なので、下水道の普及が遅れている地域となっていました。

 現在家の便所はサイホン式の便槽でくみ取り式です。バキュームカーを頼むとくみ取りに来てくれるのですが、お金がかかるし、とりあえず畑もあるし、野菜も気ままに作っているので、今でも「肥もち」をしています。

 「肥もち」は大変おもしろいどころか、ものすごいといった方がいいかも知れません。自分の「もの」だから辛抱できるのですが、手で作業をするので50cmぐらいまで鼻を近づけることとなり、とにかくものすごく臭いんです。しかし、臭いのは初めの10分ほどで、鼻はそのうち麻痺してしまい、後は臭くても辛抱できるのです。この臭さは人の最も動物的な底辺を知らされているかのようです。

 この経験ももうすぐ出来なくなりますが、これも一つの「資源循環型」の生活だと思います。自分の排泄物を肥料として畑にまいて、そこで野菜を育てて、それを食べまた排泄することって、非常にわかりやすく、最も身近なことで大変意義深いことです。

 今ではまだ、自分の後始末は最後まで自分ですると張り切っていますが、下水道はいらない思っているわけではありません。やはり臭くない快適な水洗便所に早くなってほしいと思っています。

 しかし、「これからは枯渇する資源にたよらない、持続可能な資源循環型社会を築き上げよう」と叫ばれかけている昨今、その快適さの代償として、身近な一つの「資源循環」がなくなっていくことに一抹の不安を感じているところです。

(内藤)




-7-

Go Prev page Go Prev page