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●研●究●最●前●線●

咽頭歯って何、それから何がわかるの

総括学芸員  中 島 経 夫(魚類形態学)

 コイの口の中に手を入れたことがありますか。引っかかりがなく滑らかです。コイの仲間(コイ科魚類)は顎や口腔にいっさい歯をもっていないからです。そのかわりにノドのおくに、発達した咽頭歯をもっています。これがコイ科の特徴です。
 コイ科魚類では、成長しつづける爬虫類や他の魚類と同様に、一生の間に何回も歯が生え替わります。なぜかというと、体の生長に合わせて、歯を大きくしたり、本数を増やしたりしなければならないからです。ところが、コイ科魚類では、種類毎に、歯の本数、配列、形が決まっています。ですから、咽頭歯は、分類の基準としてたいへん便利な器官なのです。また、歯は骨よりも硬く、地層や遺跡の中によく保存されています。化石や遺体として見つかる咽頭歯の種類を同定することによって、魚類相の移り変わり、当時の環境、人々の暮らしの様子が見えてきます。コイ科魚類の咽頭歯は、「湖と人間」を探る貴重な研究材料なのです。

琵琶湖地域の縄文遺跡から出土した絶滅種の咽頭歯。赤野井湾湖底遺跡からは、現生種のコイ(左下)とともに、絶滅種のコイ(左上)が出土している。粟津湖底遺跡第3貝塚からは、日本には現生しないクセノキプリス亜科のクセノキプリス属(右から2つ目)ディステーコデン属(右)の咽頭歯が出土している。
 コイ科魚類では、咽頭歯の本数、配列、形は種類によって決まっていると言いましたが、実は、仔魚の間は変化を続けます。稚魚になると本数、配列が成魚と同じになります。一方、形は成魚になるまで変化をつづけます。ところで、仔魚の間は、どの種類でも歯の配列や、形にあまり違いがありません。私がそのことを発見したのが二〇年前でした(Nakajima, 1979,1984)。その後、種類毎に違う歯の形がどのようにできあがるかを比較発生学的に追究してきました。その作業はまだ、完結していませんが、この研究を通じてコイ科魚類の系統関係が見えてきました。古生物学的研究と合わせて考えることによって、ユーラシア大陸でのコイ科魚類の七千万年の進化の歴史が分かってきたのです。
さまざまなコイ科魚類の咽頭歯。成魚や稚魚では種類毎に咽頭歯がさまざまな配列や形をしているが、仔魚期の最初の咽頭歯系では、後方にカーブした円錐歯が同じように配列している。
 ところで、古琵琶湖から琵琶湖にいたる四百万年の歴史は、八つの段階に分けられています(琵琶湖自然史研究会、1994)。最後の八番目の段階が四〇万年前から現在までの琵琶湖段階です。古琵琶湖の段階での魚類相は、古琵琶湖層群の化石を調べればよいのですが、琵琶湖段階の地層は、湖底に堆積しているので調べることができません。いま目の前に広がる琵琶湖にはいろいろな魚が生息しています。その魚たちが琵琶湖段階の魚たちを代表しているとは思えません。そこで注目したのが遺跡にのこる魚類遺体です。琵琶湖周辺には遺跡が多く、そこにコイ科魚類の遺体が眠っています。それらを調べることによって、人の手の加わっていない琵琶湖段階の魚類相が分かると考えました。

 縄文遺跡にのこる魚類遺体を調べて見ると、案の定、いまの琵琶湖にいない魚が何種類も見つかりました(中島他、1996;Nakajima et al.、1998)。たかだか数千年前から現在までの間にいくつもの種類が琵琶湖で絶滅していたのです。これらの魚たちの絶滅は人間の営みの影響によるものです。この発見を契機に、琵琶湖の環境は自然の歴史によってできあがった自然環境であると同時に人間の歴史によってできあがった歴史環境でもあること、さらに、琵琶湖地域の縄文文化や弥生文化が淡水魚撈を重要な生業とする低湿地文化ではないかという考えにたどりつきました。その低湿地文化とは、近代までつづく水田稲作と淡水魚撈の結びつきからうまれたものです(中島、2001)。


文 献
Nakajima, T., 1979, The development and replacement pattern of the pharyngeal dentition in the Japanese cyprinid fish, G. caerulescens. Copeia,1979(1):22-28.
Nakajima, T.,1984,Larval vs. adult pharyngeal dentition in some Japanese cyprinid fish.J. Dent. Res.,63(9): 1140-1146.
琵琶湖自然史研究会,1994,琵琶湖の自然史.340pp.,八坂書房,東京.
中島経夫・内山純蔵・伊庭功,1996,縄文時代遺跡(滋賀県粟津湖底遺跡第3貝塚)から出土したコイ科のクセノキプリス亜科魚類咽頭歯遺体.地球科学,50(5):419-421.
Nakajima, T., Tainaka,Y., Uchiyama, J. and Kido,Y.,1998,Pharyngeal tooth remains of the Genus Cyprinus, including an extinct species, from the Akanoi Bay Ruins.Copeia, 1998(4):1050-1053.
中島経夫,2001,日本の基層文化における西と東- 歴史の中での琵琶湖の役割.「知っていますかこの湖を- 琵琶湖を語る50章」pp.153-158,サンライズ出版、彦根.



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