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●研●究●最●前●線●

 「関係」について考える

主任学芸員 脇田健一

(社会学・環境社会学)

 琵琶湖博物館に入館すると、総合案内所でリーフレットが手渡されます。そこには「湖と人間」と書かれています。琵琶湖博物館では、「湖や、湖に代表される大いなる自然と、私たち人間との将来にわたるより良い共存関係を、来館者や県民の皆様とともに考えていくこと」をテーマに博物館活動をおこなっているのです。


琵琶湖博物館では、県民の人々と協力して、昔の水利用について調査しています。(能登川町伊庭)


 しかし、自然と人間の共存関係といっても、誰もが大事なことだとわかってはいるのですが、それが、具体的にはどのような関係なのか、すぐには頭に浮かんできません。なぜなら、関係とは目には見えない抽象的なことがらだからです。では、この関係ということがらを、どのように捉えればよいのでしょうか。人気のある展示を題材に、考えてみることにしましょう。

 C展示室「湖の環境と人びとのくらし」に入ると、水道が入る以前のくらしを忠実に再現した「農村のくらし」というコーナーがあります。昭和30年代そのままの農家、カワヤと呼ばれた洗い場、多くのみなさんが熱心に展示をごらんになっています。農家のなかに入ると、大きな樽のようなものがあります。五右衛門風呂です。「なつかしいなー」という声があがっています。かつて、このようなくらしを経験された方のようです。

 ところで、水道や下水道のない当時、人びとは、入浴後の排水をどこに流していたのでしょうか。実は、お風呂のある土間の下には、ショウベンダメと呼ばれる、いまでいう汚水槽がもうけられていたのです。お風呂の排水は、ここに溜められました。お風呂の排水だけではありません。お風呂の横にある小便器からは小便が、洗濯したあとの水も、すべてこのショウベンダメに溜められたのです。排水が、集落のなかを流れる水路に、直接流されるようなことは、けっしてありませんでした。もし、幼い子供が水路にオシッコでもしようものなら、大人たちから、ものすごい剣幕で叱られたといいます。それは、村中の家々が、水路の水を生活用水として利用していたからです。

 水路や水路の中を流れる水は、ある意味で、地域全体の大事な共有財産でもあったわけです。共有財産である水に十分な配慮をすることが、あたりまえすぎるぐらいに、くらしの常識でもあったわけです。


 では、当時の人びとは、生活排水がきたないから、そして水路の水を汚すわけにはいかないからショウベンダメに溜めていたのでしょうか。半分はその通りだといえます。ここで、半分といったのには理由があります。それは、お風呂や洗濯の排水、そして小便自体が、くらしに必要な大事な資源でもあったからです。ショウベンダメに溜められた排水や小便は、畑の肥料として再利用されていたのです。つまり、排水は排水でも、まだまだ使い道のある「もったいない肥え(栄養物)」だったわけです。もちろん現在では、肥料は、化学肥料が中心となり、かつてのように排水を肥料として大地に還元するようなことは、ほとんどなくなりました。


展示室に再現されたカワヤも、1992年には小屋がなくなり、野菜を洗うぐらいにしか利用されていませんでした。


 いかかでしょうか。ここまで読まれて、「昔の人は、水環境を大事にしていたんだなー」と、あらためて感心された方も多いことでしょう。しかし、感心するだけでなく、さらにもう少し深く考えてみることもできます。たとえば、今のくらしと比較してみることです。現在、きれいな水は、水道の蛇口をひねると、いつでも手に入れることができます。排水とまじることはありません。排水は、排水口に流してしまえばよいのであり、はやく、くらしの中から、どこかへ遠ざけてしまいたい、やっかいな存在なのです。つまり、ここ四十年のあいだに、私たちのくらしに水道、そして後には下水道という近代的なシステムが導入されることによって、排水は、まだまだ使い道のある「もったいない肥え(栄養物)」から、文字どおりの単なる「きたない汚水」に変わってしまったのです。

 ここで重要なことは、ここ四十年のあいだに、人びとが排水に与える価値や意味自体が、大きく変わってしまったということです。それは、言い換えるならば、私たちのくらしと、排水も含めた水との関係が大きく変わってしまったことを示しているのです。

 そして、さらに重要なことは、たいへん些細なことに思える、排水の意味や価値の変化、水との関係といったことが、私たちのくらしをとりまくさまざまな社会組織(家族、地域社会、行政、企業…・)や、それらが複合した全体(社会システム)とも深く関わっているということなのです。環境という問題、そして「湖と人間」との共存を考えるためには、自然環境自体だけでなく、このような私たちのくらしをとりまく社会全体にまでも視野を広げていく必要があるのです。

 この琵琶湖博物館には、自然環境そのものではなく、自然環境に関わる価値や意味、そしてその背後にある社会組織を対象に研究している社会学(環境社会学)専攻の学芸員が、私を含めて二人います。このような社会学専攻の学芸員がいること自体、日本の博物館ではたいへんユニークなことであり、新しいタイプの博物館である琵琶湖博物館の、特徴のひとつなのかもしれません。

 ところで、そのような学芸員の一人である嘉田由紀子総括学芸員が、さきほど取り上げた五右衛門風呂について、興味深い論文*を書いています。関心のある方は、一度、図書室でご覧になってはいかかでしょうか。


*「水と生活の民俗伝承」 (『試みとしての環境民俗学』所収)



表紙の写真

(富江家の五右衛門風呂)
 この写真は、C展示室の中のコーナー「農村のくらし」の、農家のなかにある五右衛門風呂です。
 かつて、この家のおばあちゃんが、残り湯を使い、きつくしぼったぞうきんで毎晩みがいていました。お風呂が黒光りしているのはそのためです。

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