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●研●究●最●前●線●

花粉化石が語る過去と未来

学芸員 宮本真二

(自然地理学)

花粉のイメージ

 「花粉」のイメージといえば、皆さんはあの悪名高い花粉症を思いだされることでしょう。研究者仲間では、「私は花粉を扱っている」という会話は成立しますが、一般の方には誤解が生まれます。それは、「花粉症の研究をされていて、なぜ、地学の研究室におられるのですか?」という問いが端的に現しています。それほど、花粉―地学とのつながりを理解することは当然ですが、難しいようなのです。

写真1●花粉化石の電子顕微鏡写真(2000倍)

死してなお生きる花粉

 花粉は一ミリの一〇〇分の一から五〇分の一という小さな粒子で、肉眼では「粉」としか見えません。花粉は雄しべの先端の葯の中に入っていて、多いもので、数万個も入っています。受粉のために葯から出た花粉は、風や昆虫の助けをかりながらめしべにたどり着きます。しかし、大半の花粉は受精の機会に恵まれず、地上に落ちます。ここで、花粉は死滅しますが、その外膜は化学的に極めて強い物質で構成されており、何万年間も何百万年もの間、化石として土壌や岩石中に残ります。その化石として残った「花粉化石」を実験処理によって抽出し、顕微鏡で観察します(写真1)。花粉は、木や草の種類が異なると花粉の姿、形も異なります。この形態的特徴から花粉の母樹(花粉をつくった木)を知ることができます。どんな種類の花粉化石が、どれだけ土の中に残っているかを調べると、当時の植生が復元できるという訳です。また、植物は、降水量や温度に敏感に反応するために、当時の気候条件が推定できます。このように、目に見えない花粉は死してなお過去を語るのです。

 これが、一連の花粉分析による研究方法ですが、花粉―地学とのつながりは、見えてきたでしょうか?葉や動物の骨化石に比べて一般的にほとんど知られていませんが、花粉化石はそれほど特異な存在ではありません。次には、この花粉分析を用いた研究成果について説明します。

写真2●ヒマラヤの森(ネパール・パンカルマ村、標高約2700m、1995年8月)日本と同じような多雨の環境にありながら、村の背後では森林破壊が進行している。

花粉が語る過去そして未来

 日本では「山に行けば森がある」という発想は、この文章を読まれるであろう皆さん(日本人)の共通理解の一つだと思います。この一節には、日本が緑(自然)豊かな国であることを現しています。しかし、その発想は万国共通のものではありません。

 私はこれまでいくつかの国で海外調査を行ってきました。いま、私はこの原稿を書いている時点では、中国での海外調査から帰国したばかりです。それは、「山に行っても森はない」という哀しい現実でした。都市部周辺はもとより、山奥でも「はげ山」が目立ち、チェーンソーの音が鳴り響き、奥地から都市部へと大木を満載したトラックが頻繁に行き交っていました。この現実は、中国に限らず多くの国々で共通することでもあります。「世界の失われつつある自然」という一節は、多くの場合、森林を構成する木々であると思います。

 先に述べた花粉分析は「森の歴史」を明らかにすることであります。世界の国々の森の減少は、花粉分析の結果から次第に明らかになりつつあります。その最大の原因として考えられているのが、我々人類なのです。日本では、今から約二〇〇〇年前頃から急速に森に人の手が加えられはじめました。特に森林破壊が進んだのは江戸時代に入ってからで、藩によっては「木一本首一本」の施策が行なわれ、減少した森林を保護するため、無断で木を伐採したものは打ち首にされる程でした。それほどまでして日本人は森を守ってきたという側面がありました。これほどまで、日本の森が残っているという現実は、日本列島が中緯度温帯地域に存在するという「風土性」、そして日本人は「森の民」であることが要因になっていると思います。日本人にとって森はあまりにも見近な存在なため、その重要な意味を考えてこなかったのかも知れません。「この木を切るとタタリがある」という感覚が急速に失われつつあります。過去において森と共存してきた日本人の意識感覚が急速に失われつつあるのです。数十年後には、「山に行けば森がある」という感覚は、記録の産物になっているのかもしれません。

写真3●ネパールでの調査(1995年8月)。著者が示す地点には過去の森林火災で生じた炭化木片が含まれている。

 世界の屋根といわれるヒマラヤ地域でも、近年、森林破壊が急速に進展しています(写真2・3)。その要因は、放牧地を確保するための過度の森林伐採が行なわれてきたということがあります。急速に森林伐採が進む中、山地斜面では雨季の降雨によって斜面崩壊が頻発し、人々の生活に大きな影響を及ぼしています。このままでは数十年後にはヒマラヤ地域では森が消滅するとまで言われています。花粉分析の結果は、ヒマラヤにおいても、過去の森林破壊の歴史を明確に物語っています。

 花粉分析の結果は過去だけの物語ではありません。将来の森と人との関係を考えさせられる結果をも示しているのです。古代世界において、文明と言われた都市国家の多くは森林資源に依存してきました。その結果、過度の森林伐採を行い、山は荒廃しました。我々は今、森林の有限性に気付かず、はげ山となった文明の崩壊地を「遺跡」としてのみ見ることができます。

 言い換えれば、森を滅ぼした文明は、自らの文明をも崩壊させたと言えるのです。このことは、現代に生きる我々の文明においても当てはまることだと思います。過去の歴史が、未来において繰り返されないという保証はどこにもないのです。

写真4●アフリカ・カメルーンのサバンナ地帯(1993年8月)。乾燥地域ではあるが、過放牧による荒廃景観が展開している。(門村浩撮影)


表紙の写真

(A展示室のボーリングサンプル)

 私たちが生活している地下はいったいどうなっているのでしょうか? 琵琶湖博物館が建設される前、博物館の地下を調べるため、920mにもわたるボーリング調査が行なわれました。A展示室の「博物館の地下を探る」コーナーでは採取された堆積物から、昔の地球環境の歴史を解明する研究過程を展示しています。目で見ることのできない花粉などの微化石は粘土などにたくさん含まれており、地球の過去を解明する上で、重要な情報をもたらします。

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