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●研●究●最●前●線●

エリはなぜ琵琶湖で進化したのか

学芸技師 橋本道範(歴史学 日本中世史専攻)

琵琶湖に固有のエリ

 水辺の風景が写っている写真を見たとき、これは琵琶湖の写真に間違いないと断定する決め手はなんでしょうか。例えば、写真1でその決め手となるのは、エリの存在です。

エリとは、水(シオ)の流れと魚の習性を利用して、ツボと呼ばれる仕掛けに魚を追い込む定置性の漁具のことです。ツボを中心としたいわば原始的なエリは日本列島の他の地域でも見受けられますが、図1のように、岸から沖にむけて簀という竹で編んだむしろを延ばし、ツボにいたるまでの仕掛けを高度に発達させ、産卵のために遡上する魚だけでなく、回遊する魚をも捕獲対象としたエリは、日本列島の中においては琵琶湖でしか見ることができません。エリが琵琶湖らしい風景の構成要素となっている理由はここにあるのです。

写真1 山本山から見た尾上のエリ
(1955年、前野隆資氏撮影)

十三世紀の史料から

 では、琵琶湖ではいつから図1のようなエリが置かれていたのでしょうか。現時点では、考古資料からこの点を明らかにすることができません。

 そこでまず、「鮒のほる はま江のえりの 浅からず 人のしわざの なさけなのよや」という寛元二年(一二四四)の『新撰六帖』に収録された藤原為家の和歌に注目したいと思います。「人のしわざの なさけなのよや」、つまり「人間のすることのむごい世の中だ」という部分は、当時の時代状況を批判したものと思われますが、その例えとして、エリの仕掛けが「浅からず」、つまり複雑となったことを持ち出していることから、エリの構造がこの時代に、より捕獲効率の高い複雑なものへと発達したことが当時の共通認識であったと理解できます。

 次に、写真2は、近江八幡市北津田町の大嶋神社・奥津嶋神社に伝わる仁治二年(一二四一)の古文書で、地元の有力者と一般の住人たちとの争いをめぐる裁判の判決文です。この判決文のなかに「新儀のえりのあいだ、すでに漁網を断つ」、つまり「新しいエリが設置されたので、住人たちの漁網による漁労活動が妨害された」とある点を重視したいと思います。なぜなら、網による漁労活動を妨害した新たなエリとは、沖へ簀を延ばした複雑な仕掛けのエリにほかならないと考えるからです。

 エリをめぐる紛争は、この古文書を最初として、十三世紀になると他の古文書からも確認できるようになります。これらの紛争は、図1のようなエリの展開を前提としてはじめて理解できるものであり、十三世紀こそ、琵琶湖に固有の形に「進化」したエリが確立した時期であると結論づけたいと思います。

図1 エリの概念図

進化を促した要因

 では、なぜ十三世紀に人々は琵琶湖でエリを進化させたのでしょうか。ここでは、そのヒントとなると考えていることを一つだけ紹介したいと思います。

 それは、写真2の古文書を伝えた大嶋神社の神事を運営するために、弘長三年(一二六三)に四百文の銭が使用されている事実です。これは、日本列島内の村落で銭貨が使用されていることがわかるきわめて古い事例です。銭貨を得るためには当然市場で何かと交換しなければならなかったはずです。実は、十三世紀にはいると、琵琶湖南部の粟津の人々が琵琶湖産の魚介類を京の六角町で直接販売するようになります。琵琶湖周辺で生きた人々は否応なく、京都などの市場での交換を目的として、自らの生業や組織のあり方をより生産効率の高い方法へと再編成せざるを得なくなっていたのです。エリが琵琶湖で進化した十三世紀とはこのような時代でした。

 とすれば、エリが琵琶湖で進化した理由も、このような新たな時代状況に対応するためと考えられないでしょうか。つまり、単純に自然環境に適合していったというのではなく、市場という、魚の捕獲をより効率的にさせずにはおかない新たな社会的、経済的条件の確立こそが、自然環境により適合した技術への発展を促した大きな要因であったと考えたいと思います。

 しかし、こうした琵琶湖の文化の固有性がいかに決定づけられてきたのか、つまり社会的、経済的な条件の変化やそれへの対応のあり方については、これまでほとんど明らかにされていません。今後はこうした点について、さらに歴史学的に追究していきたいと考えています。

写真2 エリの漁業権などをめぐる1241年の裁判の判決文(仁治二年九月日、近江国奥嶋庄預所法眼某下文、大嶋神社・奥津嶋神社所蔵、重要文化財)

※本稿作成にあたって、安室知「エリをめぐる民俗①-琵琶湖のエリ-前編」(『横須賀市博物館研究報告(人文科学)』34、1989年)を特に参考としました。


表紙の写真

(B展示室に展示されたエリの簀)

 草津市下笠の地先のエリに使用されていたもので、竹は甲西町平松から購入したマダケです。琵琶湖のエリの進化の背後には、それを支える良質の材料があったのです。また、その入手のためには、交換するための貨幣が必要であった点にも注目しておきたいと思います。

エリについては、B展示室の「湖岸・内湖の漁」のコーナー、C展示室の「漁師の眼、エリ師の眼」のコーナーで展示していますが、博物館から本物のエリを展望することもできます。

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