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大分県安心院地域で見つかった骨化石が約350万年前のサイの仲間であることを明らかにしました

論文の概要
 大分県宇佐(うさ)市の安心院(あじむ)地域で見つかった骨化石を調べた結果、サイの仲間の下あごの骨であることが分かりました。このサイ化石のくわしい種類はわかりませんが、この化石と同じ時代の中国北部にいた種類に近いと考えられています。今回のサイ化石はおよそ350万年前の地層から発見されており、この時期のサイ化石としては日本で4例目です。このことは、現在の日本には生息していないサイが、昔の日本各地にいたことを示しています。同じころの日本には絶滅したゾウであるミエゾウがおり、その化石が琵琶湖周辺の地域からも見つかっています。こうしたサイやゾウの仲間は、同じ時期に中国大陸から、陸続きであった当時の日本へ渡ってきたのかもしれません。


論文のポイント
・見つかった化石は約350万年前のサイの仲間の下あごの骨
・日本で安心院地域のものと同時代のサイ化石は少なく、今回で4例目
・安心院地域のサイ化石は、中国北部にいた同じ時代のサイの一種に近いと考えられる
・安心院地域のサイは、およそ400万年以上前に中国北部から当時大陸とつながっていた日本へ渡ってきたのかもしれない


化石の見つかった安心院地域について
 大分県安心院盆地には淡水域の地層が広がっており、そこからさまざまな動植物化石が発見されています。これまでも絶滅したゾウの仲間であるミエゾウのほか、シカやクマ、小型動物ではネズミの化石が見つかっています。このほかカメやワニ、ヘビといったハ虫類や鳥類、さらにはたくさんの魚類化石も知られています。このような安心院地域で見つかった化石をまとめて安心院動物化石群と呼んでいます。これまで琵琶湖博物館も多くの研究者と協力しながら、安心院地域の化石やそれらが見つかる地層の調査に取り組んできました。


見つかったサイ化石について
 共同研究者の一人である北林氏が、安心院地域で調査中に今回の骨化石を発見しました。おなじく共同研究者の加藤教授による調べによれば、化石の見つかった地層の時代はおよそ350万年前ころと考えられています。
 くわしく調べた結果、この化石はサイの下あごの骨であると分かりました。これまでも安心院地域からサイの歯化石が発見されていました。そのため今回のサイ化石の発見は同地域で2例目となります。また日本国内においてこれと同じ時代のサイの骨が見つかっており、今回の発見は4例目です。今回報告したサイ化石の具体的な種類は不明ですが、現在も生きているサイを含むサイ亜族というグループの仲間であると思われます。

サイ化石.jpg



安心院地域から見つかったサイの下あごの化石(琵琶湖博物館所蔵)

見つかった化石から考えられること
 今回の発見を含めて、およそ350万年前ころの日本各地にサイの仲間がいたことが分かってきました。ではこの時期のサイの仲間はいつ、どこから当時の日本へやってきたのでしょうか。詳しいことはまだ分かっていませんが、今回の発見によって、当時の中国北部からやってきた可能性が考えられます。
 当時の日本列島は一時期を除いてアジア大陸の一部であったといわれています。そのため、陸続きであった当時の日本へアジア大陸からさまざまな動物が移動したと考えられています。安心院地域のサイ化石は中国北部で見つかるサイ化石と形が似ていることから、これと近い仲間ではないかと考えられています。もしかしたら中国北部にいたサイの仲間が当時の日本へ渡ってきたのかもしれません。琵琶湖周辺から見つかっているミエゾウの祖先もまた、中国北部にいたゾウの仲間と考えられており、当時の日本へ移ってきたと言われています。このことからサイも同じ道筋を通ってきた可能性があります。今後より多くのサイ化石が国内各地で見つかることで、サイの来た道がくわしく分かってくるでしょう。

中国から来たかもしれない安心院のサイ.png
安心院地域のサイに近い仲間と予想される中国北部の化石産地


キーワード
化石、サイ、哺乳類、動物の移動


本研究の成果は、下記の雑誌に掲載されました。
・雑誌名:『Historical Biology
・論文題名:『An additional remain of Pliocene Rhinocerotidae from Ajimu, western Japan
・著者:半田直人(琵琶湖博物館)・加藤敬史(倉敷芸術科学大学)・高橋啓一(琵琶湖博物館)・馬場理香(日立製作所中央研究所)・北林栄一(日田市立博物館)
・発行:2023529
・ページ数:7ページ
DOI: https://doi.org/10.1080/08912963.2023.2217197